生善院庫裏
建物データ
指定名称 | 生善院庫裏 寛永2年(1625)頃 桁行16.347m、梁間5.030m、一重、入母屋造、茅葺に鉄板葺被せ、南面玄関一間、桟瓦葺、北面・西面・南面下屋附属、桟瓦葺 |
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指定年月日 | 平成24年10月1日 |
所在地 | 水上村大字岩野 |
修理記録 | |
保存修理工事報告書 | 『生善院本堂・客殿・庫裏・山門調査報告書』(球磨文化遺産保存会、平成28年3月) |
生善院庫裏正面
現在の庫裏は、『仏殿調物控』にある「書院」が役目を終え、その後西側に居室、北側に下屋を増築した規模となっています。「書院」は「四畳鋪(梁間、半畳×4か) 五間半(桁行)」の規模で、「上之間」・「御湯殿」・「次之間」・「廊下」・「外縁ケ輪」からなり、身舎の屋根は茅葺、「御湯殿」・「廊下」・「外縁ヶ側」の庇部分は長板葺でした。『仏殿調物控』には建具の種類と枚数の記載がありますので、部屋の様子を知ることができます。
生善院庫裏背側面(北東)
写真に見える部分が上之間(現奥の間)です。側廻りの建具がアルミサッシに取替えられています。濡れ縁も改修されています。
生善院庫裏背側面(北西)
屋根は茅葺の時は寄棟造で、鉄板葺に改修した時に入母屋造に変更されました。
生善院庫裏西側面
西面一間はもと土間でしたが、北面下屋部分の土間を残し、現在は居室に改修されています。
生善院庫裏北面下屋
北面下屋は風呂と台所となっていて、西端一間は土間で北側に竈が据えられています。
生善院庫裏玄関・廊下
古い床板が切れている写真奥側が「書院」時代の西端でした。南面西端一間は片袖壁の方立枘穴が鴨居にあり、南西隅東面には壁の痕跡が残っています。南面(外側)には壁に格子窓があったとみられる痕跡があり、外側に柱があったと考えられます。東側は壁のみ痕跡です。
生善院庫裏玄関
玄関柱上部に垂木掛の痕跡が残っています。
生善院庫裏上之間(現奥の間)東面
東面はもと逆床で、床脇(写真奥左側)は出入口に改修されています。天井竿縁は古式な床挿しとなっています。
写真右側のカーテン奥が玄関から続く縁となっていて、側廻りの柱にほとんど風蝕が見られませんので、雨戸は「書院」が使われる時にだけ開けられていたようです。そのため、藩主の一房権現(市房山神宮)参詣の時にしか使われていなかったと推測しています。藩主の入口は玄関ではなく「上之間」の縁からであったと考えられますが、沓脱石などはまだ確認できていません。
「上之間」の当初柱はすべて栗材が使用されています。
生善院庫裏南側縁戸袋痕跡
柱の戸袋内側部分とその上の部分の風蝕差は「茶道之間」が増築されるまでのもので、客殿が建てられた享保8年(1723)よりかなり前に「書院」が存在していたことを物語っています。
生善院庫裏次之間(現中の間)東面
写真右側のアコーデオンカーテン内は床と考えていたのですが、痕跡や『仏殿調物控』の建具を考慮すると違うものではないかと考えました。
『仏殿調物控』の「上之間」の建具を配置すると、現在アコーデオンカーテン奥は板壁となっていますが、ここには「端尺障子」4枚か「襖」4枚が入っていたとみられます。「横端尺2枚」は天袋の建具、「端尺障子四枚」は地袋の建具と考えられますので、「襖」4枚建てであったと推測されます。この北側の間は「襖」2枚建て引違いとみられます。
「次之間」の当初柱はすべてタブ材が使用されています。
生善院庫裏次之間(現中の間)東面南側痕跡
床構えとは違う痕跡が柱に残っています。鴨居は2溝ですが、建具が擦れた痕が見られません。この間の柱向い合せ面には中古の壁の痕跡も残っています。
当初この部分は帳台構であったのではないかと推測しています。生善院庫裏次之間(現中の間)東面南側天井棹縁痕跡
天井棹縁は「上之間」床方向としていたようです。
床構えとは違う痕跡が柱に残っています。鴨居は2溝ですが、建具が擦れた痕が見られません。この間の柱向い合せ面には中古の壁の痕跡も残っています。
>生善院庫裏小屋組「茶道之間取合部分
「茶道之間取合部分は垂木竹から上の部分が撤去されています。
生善院庫裏小屋組
本堂と同じ小屋組となっています。
生善院庫裏北側下屋内部
北側下屋内部は見える部分からの判断しかできませんでしたが、当初北側縁の庇部材が残っているかも知れません。
生善院庫裏「上之間」縁側柱中古番付
「書院」南東隅より時計回りに現居間まで、長押付近の見える部分に中古番付が残っています。
建物情報
※情報の内容は畳敷き廻りの柱間寸法は調査・研究成果によるものです。
ものさしと畳割り | 建物の実測調査は現行尺(1尺303.03㎜)で行いました。「上之間」の畳敷き廻りの柱間寸法は、実測できた箇所全て6.5尺、柱は0.43尺角でした。現行尺6.5尺は鉄尺(1尺302.58㎜)で6.51尺で柱が0.43尺角ですので、二間分の柱内々は12.59尺となります。「次之間」の柱断面寸法は0.42尺角ですので、二間分の柱内々は12.6尺で6.3尺×3.15尺の畳が納まります。柱をそのまま通り真に納めるのであれば、柱断面寸法は0.42尺角とみられます。 もう一度メートル法のものさしで再実測が必要ですが、「書院」は鉄尺が使用されている可能性が大きいと考えられます。 |
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