生善院山門

建物データ

指定名称 生善院山門   寛永2年(1625)~承応4年(1656)
四脚門、切妻造、本瓦形桟瓦葺、両脇土塀附属
指定年月日 平成24年10月1日
所在地 水上村大字岩野
修理記録 平成7年:台風による倒壊のため解体修理
保存修理工事報告書 『生善院本堂・客殿・庫裏・山門調査報告書』(球磨文化遺産保存会、平成28年3月)

生善院山門正面

生善院山門正面

山門は『仏殿調物控』(享保8年以降の生善院内の建物規模、建具種類・その枚数を記録し、願成寺に報告したもの)では、「表門」と記述されています。規模は「横弐間」(桁行)、「入九尺」(屋根の流れ長さか)で、屋根は「小板葺」、「扉弐枚」、18間の板屋根の塀が付属していたようです。
山門は屋根と塀以外は、ほぼ建立当初のままとみられます。屋根は現在本瓦葺形桟瓦葺ですが、これは平成7年の台風災害の修理で葺替えられたもので、それ以前は鉄板葺でした。古写真では鉄板葺の前は桟瓦葺で、建立当初は「小板葺」でこれは柿葺と考えられます。
山門は人吉球磨地域独特の四脚門の形式で、親柱を五平の鏡柱とし、控柱は大きく面を取った正方形の角柱とします。扉を納めるために、梁間方向の腰貫と内法貫は親柱では外側に、控柱では内側に柱真と通りがずれています。
女梁と男梁は鏡柱真に納まりますが、控柱では外側を鬢太にして男梁を受けています。垂木にはかなり大きな反りを付け、扉の板は上框・下框とも張り流しとしています。
山門の女梁絵様の意匠は山江村の高寺院毘沙門堂(承応4年1656)の木鼻と輪郭が同じで意匠も似ていますので、山門は寛永2年(1625)から承応4年(1656)の間に建立されたと考えられます。

生善院山門側面

生善院山門側面

懸魚は平成7年材です。

生善院山門扉正面

生善院山門扉正面

貫は鏡柱の真にありますが、控柱では真ではなく内側にズレています。扉の板は上框・下框とも張り流しとしています。

生善院山門扉背面

生善院山門扉背面

閂が欠失しています。

生善院山門板蟇股

生善院山門板蟇股

蟇股内部の五葉の文様は観音堂(寛永2年1625)の釘隠しに使われています。金色になっているのはペンキが塗られているからです。

生善院山門妻側蟇股

生善院山門妻側蟇股

板蟇股の意匠は神社本殿妻飾りの大瓶束と板蟇股の時代的指標となります。

生善院山門女梁絵様

蟇股内部彩色と桐唐草文様置上げ彩色

女梁絵様の意匠は山江村の高寺院毘沙門堂(承応4年1656)の木鼻と輪郭が同じで意匠も似ています。

生善院山門男梁と控柱の納まり

生善院山門腕木と控柱の納まり

生善院山門男梁と控柱の納まり

建物情報

※情報の内容は調査・研究成果によるものです。

平面計画 生善院山門平面計画
山門は基準の柱通りが判りにくく、垂木も柱真と一致しないため、屋根も含めて鉄尺(1尺302.58㎜)で平面計画を考察してみます。
両端の垂木真々寸法はいくつかの実測値を足し合わせて4,003㎜(13.23尺)、11枝で、一枝寸法は1.203尺となり1.2尺の計画と考えられます。この場合、両端の垂木真々寸法は13.2尺で実測値とは9㎜の差となります。
破風板外々寸法を14尺と仮定し35等分すると1小間0.4尺で、33小間を両端の垂木真々寸法とすると13.2尺、鏡柱の内々寸法は33小間/2で6.6尺としているとみられます。鏡柱は見付寸法が0.9尺の計画と考えられますので、真々寸法は7.5尺と考えられます。
正面控柱真は貫の外面と同じで鏡柱内面から192㎜外側の位置ですので、真々寸法は2,384㎜(7.879尺)で小間との関係性はみられません。側面控柱真々寸法は1,933㎜(6.39㎜)で、16小間とすると6.4尺の計画とみられます。
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