岩野霧島神社本殿

建物データ

指定名称 岩野霧島神社本殿   天文16年(1547)
三間社流造、鉄板葺、南向
指定年月日 平成11年3月16日
所在地 水上村大字岩野
修理記録
保存修理工事報告書 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)

岩野霧島神社本殿向拝

岩野霧島神社本殿向拝

『麻郡神社記』によると当社は一宮権現と称され、霧島神社同体で天安年中(857~859)の草創です。大同年中(806~810)に創造の時にこの所に仮殿を造営し、その後この跡に霧島神社を勧進しました。
天文16年(1547)正月宮殿回禄(火災)、同年地頭湯山右京亮平宗豊再興、寛永年中(1624~1643)本殿修復、延宝8年(1680)社司惟澄拝殿造替の記録があります。『九州相良の寺院資料』(上村重次著、昭和61年8月1日発行)によると、東福院が別当寺であったようですが現在は廃絶しています。
本殿内の宮殿に祀られている慧麟(天台宗の層で寛正2年1461~文明元年1469の作品が現存)作の女神像銘には文明元年の年紀が見られます。 これらの史料と本殿の様式から、現在の本殿は天文16年に建立されたとみられ、寛永年中の修復は屋根の葺替と軒廻りの修理が考えられます。

岩野霧島神社本殿東側面

岩野霧島神社本殿東側面

本殿は身舎の建ちが低く、建立年代が古い傾向がみられます。

岩野霧島神社本殿西側面

岩野霧島神社本殿西側面

丸桁両端が切断されています。

岩野霧島神社本殿背面

岩野霧島神社本殿背面

背面側は日当たりが悪く苔が繁茂しています。

岩野霧島神社本殿身舎木鼻

岩野霧島神社本殿身舎木鼻

年輪の間隔が広くかなり風蝕していますので、輪郭が判りにくくなっています。

岩野霧島神社本殿繋虹梁木鼻彫り

岩野霧島神社本殿繋虹梁木鼻彫り

繋虹梁木鼻彫りを見ると輪郭は身舎の木鼻と同じで、渦が出ている円弧より下はS字曲線のみで渦は1回転巻いていますが半分は小さな円弧で最後は尖っています。山江村の山田大王神社本殿(天文15年1547)身舎の木鼻は、渦が出る円弧より下は小さな円弧が最後のS字曲線の間に入り、渦は真円に近くほぼ2回転巻いて最後は尖っています。

岩野霧島神社本殿向拝拳鼻

岩野霧島神社本殿向拝拳鼻

頂部は大小2つの円弧の組合せで大きな円弧の先は外に出ています。次に反転してS字曲線、円弧、最後にまたS字曲線となっています。渦は木鼻と同じ形状ですが、最後は玉になっています。

岩野霧島神社本殿床板下端

岩野霧島神社本殿床板下端

当初材は割材が使われています。

建物情報

※情報の内容は調査・研究成果によるものです。

大工棟梁
平面計画と柱断面図寸法 岩野霧島神社本殿平面計画
『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、正面規模4,302㎜(14.2尺)、正面中央間1,575㎜(5.2尺)、端間1,36.5㎜(4.5尺)、身舎側面規模は2,696㎜(8.9尺)で二間等間で1,348㎜(4.45尺)、向拝奥行1,212㎜(4.0尺)となっています。現行尺(1尺303.03㎜)で柱間寸法が整理されているようです。ここでは、これらの柱間寸法を検討しての平面計画を考察します。
正面中央間と脇間は柱間寸法比が7:6に近く、中央間5.2尺とすると端間は4.457・・・尺、端間を4.5尺とすると中央間は5.25尺となり、端間を元に寸法比とすると柱間寸法差が0.75尺で一枝寸法は0.375尺と推測されます。この場合、中央間14枝、端間12枝、隅柱真々で38枝で柱間寸法は14.25尺となり、鉄尺(1尺302.58㎜)換算で4,312㎜、図面寸法とは10㎜の差となります。
身舎側面二間の柱間々寸法は正面端間と同とする事例が3棟あり、平面計画を考慮すると4.50尺ではないかと推測されます。向拝奥行は4.0尺で正面端間の8/9となっています。
正面規模は15尺を柱外々寸法と仮定し、40等分し1小間0.375尺(=一枝寸法)の38小間を柱真々寸法としたとみられ、中央間14小間5.25尺、端間12小間4.50尺に設計したと考えられます。
身舎側面二間の柱間寸法は正面端間と同じ4.50尺とし、向拝奥行はその8/9で4.00尺としたと推測されます。では、正面三間の規模をどのようにして決めたのか考察してみます。
隅柱外々寸法を15尺と仮定し20等分し、1小間0.75尺の19小間14.25尺を隅柱真々とし、中央間と端間の柱間寸法は寸法比を7:6とします。一枝寸法は1小間の1/2としていますので0.375尺となります。
身舎柱断面寸法は図面を測って換算すると200㎜(0.66尺)前後ですので、14.25尺/21.5で計画したとみられます。向拝柱断面寸法は150㎜前後で、身舎柱の3/4と推測されます。
正面端間と側面二間の柱間寸法が同じ事例は、東光寺八幡宮旧本殿(明応2年1493)、山田大王神社本殿(天文15年1546)、十島菅原神社本殿(天正17年1589)です。
保存修理について 本殿を最後に見学してから10年近く経過しています、蟻害の進行拡大が気がかりです。
本殿は丸桁より下の部分は建立当初のままですので、欠失している化粧垂木の情報は丸桁に残っているとみられます。破風板の形状や小屋組は整備することになりますが、建立当初の姿に近い姿への保存修理工事は可能と考えられます。
保存修理工事の際には、経験豊富な設計監理者や技能者が必要です。実施する屋根形式により、覆屋のことも合わせて検討する必要がありそうです。
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