普門寺観音堂

建物データ

指定名称 普門寺観音堂   明治18年(1885)、墨書
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、桟瓦葺、平入、正面向拝一間、桟瓦葺、南向
指定年月日 昭和55年8月30日
所在地 湯前町下城
修理記録 大正15年:屋根、木階改修
保存修理工事報告書 未出版

普門寺観音堂正面

普門寺観音堂正面

普門寺は、はじめは修験道で、湯山にあり、市房社の別当でした。永正3年(1506)に湯山から岩野に移り、施無畏山普門寺と称しました。天正10年(1582)に五世盛誉は讒言により殺されました。慶長9年(1604)に普門寺が再興され湯前城跡に再移転されました。承応3年(1654)に普門寺六観音像が京都から下向し、六観音堂が建立されました。明治維新後に廃寺となり、明治16年(1883)焼失後、明治18年頃までに再建されたのが現在の観音堂です。

普門寺観音堂背側面

普門寺観音堂背側面

化粧垂木は棒垂木となっています。

普門寺観音堂内部

普門寺観音堂内部

当初は六観音でしたが、現在は五観音が保存されています。

建物情報

※情報の内容は調査・研究成果によるものです。

平面計画 普門寺観音堂平面計画
熊本大学作図の実測図では正面規模4,788㎜(15.8尺)、中央間1,880㎜(6.2尺)、端間1,454㎜(4.8尺)、背面は各間1,596㎜(5.266尺)の三間等間となっています。側面規模は3,756㎜(12.395尺)、二間等間で各間1,878㎜(6.197尺)となっています。明治18年(1885)の建立ですので、ものさしは1尺303.03㎜です。この寸法で平面計画を考察してみます。
正面側の柱間寸法は関係性が見られませんので、背面側の柱間寸法と正面中央間の寸法比をみるとほぼ85/100なっています。正面中央間を6.20尺とすると背面各間は5.27尺で、三間では15.81尺となりますので正面端間は4.805尺とみられます。
側面は正面中央間と同じ6.2尺の二間としています。
では、正面規模をどのように設計したのか考察すると隅柱内々を15.5尺と仮定し、50等分した1小間0.31尺の51小間15.81尺を柱真々寸法にしたと推測されます。正面中央間・側面各間は20小間6.20尺、背面各間17小間5.27尺、正面端間15.5小間4.805尺となります。来迎柱は背面側通りから内側に8小間2.48尺入った位置に建てているとみられます。
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