槻木菅原神社本殿

建物データ

指定名称 槻木菅原神社本殿   文禄2年(1593)
一間社流造、桧皮葺、東向
指定年月日
所在地 多良木町槻木
修理記録 近年にRC造覆屋を建設、この時屋根を桧皮葺に改修
礎石建ちから柱石口を切断しコンクリート床に直建ちに変更
保存修理工事報告書 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)

槻木菅原神社

槻木菅原神社

『麻郡神社記』によると、当社は洛陽北野天神と同体で槻木の宗社で、草創については不明です。
永禄年中(1558~1569)再興、文禄元年(1592)延焼により本殿・拝殿悉く焼失、これにより同2年(1593)地頭槻木越前安部貞継同定繁並びに宮守大蔵等大家長久の祈願によって再興、厥初は今本殿下にあり回禄(火事)後此所に遷座、貞享元年(1684)神殿修復との記載があります。

槻木菅原神社本殿正面

槻木菅原神社本殿正面

本殿の丸太の6本の丸太の上に置かれています。なぜか向拝頭貫は中央部分が切断されています。

槻木菅原神社本殿側面

槻木菅原神社本殿側面

解体されていないようですので、現在の覆屋の建設時には曳家して移動させ、床版ができた時点でまた曳家して丸太の上に据えられたのでしょうか。/p>

槻木菅原神社本殿屋根

槻木菅原神社本殿屋根

人吉球磨地域では唯一の桧皮葺です。

槻木菅原神社本殿向拝

槻木菅原神社本殿向拝

向拝頭貫木鼻と、写真に写っている身舎頭貫木鼻は意匠が異なっています。

槻木菅原神社本殿向拝内側

槻木菅原神社本殿向拝内側

向拝桁と繋梁の取付部分で天端の高さが合っていないことや、頭貫とその上の部材には風蝕差が見られることから、斗栱より上が建立後に修理されたと推測されます。

槻木菅原神社本殿南東隅身舎当初頭貫木鼻

槻木菅原神社本殿南東隅身舎当初頭貫木鼻

輪郭はあさぎり町の浜の上地蔵堂厨子(15世紀末~16世紀初期)と同じで、渦の出る円弧部分はこちらの方がが外に出ていません。あまり巻かない渦の意匠も似ています。
この木鼻は文禄2年(1593)のものとみて良いと考えられますので、現在の本殿はこの時に再興され、貞享元年(1684)に修理されたものとみられます。

槻木菅原神社本殿北西隅身舎中古頭貫拳鼻

槻木菅原神社本殿北西隅身舎中古頭貫拳鼻

当初身舎頭貫木鼻と輪郭は同じ構成ですが、渦が出る円弧部分は曲率が大きく当初のものより外側に出ています。当初のものの方が作りが丁寧に感じられます。

槻木菅原神社本殿向拝拳鼻

槻木菅原神社本殿向拝拳鼻

拳鼻としては特異な意匠です。頂部は大小2つの円弧で大きな円弧の先は垂直となり、反転して内側へ上がる斜線から山形、円弧に繋がり渦が出て、変形S字曲線で終わっています。渦の巻は当初木鼻と同じで、彫りも丁寧な作りの印象です。頂部の小さな円弧部分は接触している斗の斗繰りの曲線と合っていないようです。この拳鼻は当初材とみられます。

槻木菅原神社本殿床下

槻木菅原神社本殿床下

足固貫が折れているようです。また、根太の位置も元とは違うようです。

建物情報

※情報の内容はその後の調査・研究成果によるものです。

平面計画 槻木菅原神社本殿平面計画
『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、正面規模1,818㎜(6.0尺)、側面規模も1,818㎜(6.0尺)、向拝奥行788㎜(2.6尺)となっています。いずれも現行尺(1尺303.03㎜)で柱間寸法が整理されているようです。
正面6.0尺で16枝となっていますので一枝寸法は0.375尺で、向拝奥行を7枝と設計したとすると2.625尺です。
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