槻木四所神社本殿
建物データ
指定名称 | 槻木四所神社本殿 大永2年(1522) 一間社流造、目板葺、南向 |
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指定年月日 | |
所在地 | 多良木町下槻木 |
修理記録 | 近年屋根桟瓦葺改修 |
保存修理工事報告書 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会) |
槻木四所神社境内
『麻郡神社記』によると、当社は紀州伊都郡高野山丹丹生明神と同体で、草創については不明です。伊勢、春日、三輪、住吉の四所に祀られているため「四所神社」と呼ばれています。
正長元年(1428)再興、永享7年(1435)当所天氏性弥四郎拝殿建立、大永2年(1522)地頭阿部貞親の願いにより天氏重長社殿造替、天正18年(1590)天氏重弘本殿修復、大家長久及び地頭槻木越前貞繹の延命の願いありとの記載があります。
現在の本殿は同町にある久米治頼神社(永禄9年1566)の降懸魚より下方の意匠が簡素であるため、大永2年に造替された本殿とみられます。
槻木四所神社本殿正面
部材をよく見ると風蝕差が見られます。向拝柱は身舎柱の大きさからすると断面寸法は大きめで、頭貫より風蝕が少ないようです。
建立から天正18年(1590)年の本殿修復まで68年経過していますので屋根の修復はこの間に1回は行われていると推測されます。天正10年の修復は腐朽した部材を取替えたとみられます。また、本殿枝外垂木が減らされていて、覆屋を建てた時期が関係しているようです。詳しい調査が待たれます。
槻木四所神社本殿正側面
覆屋の梁がは一部欠き取って破風板に付けて架けられています。
槻木四所神社本殿屋根
目板葺の屋根で屋根板を見ると鼻先が腐朽していますので、この屋根で一時外部に在ったことが判ります。
槻木四所神社本殿向拝
身舎と向拝の蟇股は建立当時はなく、後世に取付けたものです。
槻木四所神社本殿向拝斗栱
木負や桁が切られ枝外垂木が減らされています。
向拝頭貫・肘木・化粧垂木・木負は風蝕が見られますが、斗は風蝕がほとんど見られません。
向拝頭貫木鼻は上部の円弧部分とそれに続く反転した変形S字型部分がかなり外側に出ています。渦は2回転ほど巻いていています。
槻木四所神社本殿向拝拳鼻
頂部は円弧が3つ続き反転して変形S字型部分から曲率の小さな円弧、最後はS字型曲線となっています。渦は接続する円弧部分の曲率が小さいため直径が大きく、1回転半巻いています。
槻木四所神社本殿降懸魚
同町にある久米治頼神社(永禄9年1566)の降懸魚より下方の意匠が簡素です。
建物情報
※情報の内容はその後の調査・研究成果によるものです。
平面計画 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、正面規模2,121㎜(7.0尺)、側面規模は1,970㎜(6.5尺)、向拝奥行は1,060㎜(3.5尺)となっています。いずれも現行尺(1尺303.03㎜)で柱間寸法が整理されているようです。これらの柱間寸法で平面計画を考察します。 正面規模7.0尺、身舎側面と向拝奥行きのの合計を10尺、向拝奥行は正面規模の1/2(3.50尺)とすると、身舎側面は6.50尺となります。 |
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