諏訪神社本殿
建物データ
指定名称 | 諏訪神社本殿 寛延2年(1749)、棟札 二間社流造(向拝3間)、桟瓦葺、北向 |
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指定年月日 | |
所在地 | 多良木町多良木 |
修理記録 | 近年屋根桟瓦葺改修 |
保存修理工事報告書 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会) |
諏訪神社本殿正面
『麻郡神社記』によると、当社は信州諏訪神社と同体で、草創については不明です。
正和年中(1312~1316)再興、文明年中(1469~1486)本殿修造、弘治2年(1556)拝殿造替との記載があります。
当初は鍋倉天神の北大道の傍に在り、往還の者がしばしば下馬で難苦していました。永禄5年(1562)に代官藤原長友と滿房丸及び社司惟秀と惟年等が再興した時に現在地に遷宮されました。
現在の本殿は寛延2年(1749)に建立されたもので、永禄5年に造られたとみられる宮殿(正面二間)が保存されています。
諏訪神社本殿正側面
瓦の下に軒付と見られる板が残っていますので、以前は板葺であったと見られます。縁束や柱数本は足元切られているようです。
諏訪神社本殿正面詳細
向拝は三間、身舎は二間としています。向拝中央間は桁中央下端に斗の欠き取りが残っていますので、蟇股か束が在ったようです。
諏訪神社本殿妻飾り
人吉市の遥拝阿蘇神社本殿(寛保2年1742)の妻飾りの蟇股は、それ以前に建てられた本殿のものより成が低くなっているようで、こちらの蟇股も同じ傾向があります。
諏訪神社本殿向拝
海老虹梁は湾曲がなく、鼻先は水平に向拝斗栱に組まれています。
諏訪神社本殿身舎木鼻
輪郭の構成は人吉市の遥拝阿蘇神社本殿(寛保2年1742)身舎の木鼻と同じで、よく似ています。
諏訪神社本殿向拝頭貫木鼻
輪郭の構成は人吉市の遥拝阿蘇神社本殿(寛保2年1742)向拝頭貫の木鼻と同じで、よく似ています。
諏訪神社本殿小壁格狭間
格狭間も輪郭の構成は人吉市の遥拝阿蘇神社本殿(寛保2年1742)向拝中央間琵琶板の格狭間と同じで、よく似ています。