長運寺薬師堂
建物データ
指定名称 | 長運寺薬師堂 享保15年(1730)、寺伝 桁行三間、梁間三間、寄棟造、茅葺、西向 |
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指定年月日 | |
所在地 | 多良木町黒肥地小川 |
修理記録 | 近年北面下屋増築 |
保存修理工事報告書 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会) |
長運寺薬師堂正面
『歴代嗣誠獨集覧』(梅山無一軒)によると、長運寺はもと黒肥地鍋城にありましたが貞治6年(1367)に全焼し、その後永徳3年(1383)に現在地に移し、長円寺と改称されました。
薬師堂には薬師如来座像(明応10年頃1501)、この頃のものとみられる厨子、須弥壇がありますが、もともと長運寺のものだったかは判然としません。
長運寺薬師堂背側面
茅葺は定期的に維持管理が行われていますので、現在でも建立当初の姿を見ることができます。
長運寺薬師堂内部
須弥壇は造付けではなく据置型で、薬師堂より古い時代に造られたものです。
長運寺薬師堂舟肘木
舟肘木は頂部の円弧から内側に反転した円弧、S字曲線と続き渦が出て、その下もS自曲線となっています。
建物情報
※情報の内容はその後の調査・研究成果によるものです。
平面計画 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、正面規模4,787㎜(15.8尺)、中央間1,909㎜(6.3尺)、端間1,439㎜(4.75尺)、側面規模は4,773㎜(15.75尺)、三間等間で1,591㎜(5.25尺)で、現行尺(1尺303.03㎜)で柱間寸法が整理されているようです。ここでは、この柱間寸法を元に平面計画を考察します。 正面規模と側面規模は0.05尺の差があります。正面中央間と端間の柱間寸法には計画性が見い出だせず、正面端間が4.725尺であれば平面は正方形となります。正面は中央間4:端間3の寸法比となり、側面各間は正面中央間との寸法比が6:5となります。 15.75尺をどのように決めたのか推測します。隅柱内々を15尺と仮定し20等分した1小間0.75尺の21小間15.75尺を隅柱真々寸法としたと推測されます。 |
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