大久保阿弥陀堂
建物データ
指定名称 | 大久保阿弥陀堂 元亀3年(1572)、本尊銘 桁行三間、梁間三間、宝形造、桟瓦葺、東向 |
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指定年月日 | |
所在地 | 多良木町獺立野原 |
修理記録 | 江戸時代後期:大改修 昭和61年:小屋組、茅葺を桟瓦葺に改修 |
保存修理工事報告書 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会) |
大久保阿弥陀堂正面
永禄2年(1559)に些細な私事を発端とする内乱ながら戦国時代の球磨郡内で最大の合戦となった獺野原(多良木町黒肥地付近)の合戦では、人吉勢と湯前勢の双方に多数の戦死者がでました。大久保阿弥陀堂はその十三回忌となる元亀3年(1572)に供養のために建てられた御堂です。
人吉球磨地域の戦国時代の歴史、建築的に貴重な遺構で屋根や軒廻りの変更がありますが、現在まで地元の方々により450年以上保存されていることに強く地域性が感じられます。
大久保阿弥陀堂背正面
軸部は柱の建ちが低く古式な印象を受けます。
雨落葛石が四周に設置されていますが、経年により礎石廻りの土が流出しているため礎石廻りにモルタルが詰められています。貫は桁行方向を下、梁間方向を上にして背違いに入れています。
大久保阿弥陀堂内部
仏壇正面格子戸は後設のものとみられますが、構えは建立当初のままのようです。床板は下から覗き込んでいませんので、いつの時代のものか確認できていません。現在、天井板はありませんが、小屋梁側面に板決りが在りますので、建立当初は天井が張られていたようです。壁板は近年取替えられているようです。
大久保阿弥陀堂小屋組材
当初小屋梁はすべて残っているようで、昭和61年に屋根を桟瓦葺に改修する際に取外した扠首材も保存されています。
大久保阿弥陀堂軒廻り
隅の腕木隅側に枘穴が残っていますので、当初は隅行の腕木が在ったようです。
桁行方向の頭貫は柱を抜き通し、柱幅分程を外に出して軒桁を受けています。梁間方向の頭貫との仕口を知りたいですね。
大久保阿弥陀堂木鼻
渦から始まる円弧部分の曲率を大きくし外側に出しています。渦は1回転半ほど巻いています。
大久保阿弥陀堂錫杖彫
建立年代が判明していますので、錫杖彫意匠の時代的な変遷の指標となるものです。
大久保阿弥陀堂仏壇床板下面
床板は割材が使われていますので当初材とみられます。
建物情報
※情報の内容はその後の調査・研究成果によるものです。
平面計画 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、3,939㎜(13尺)の正方形で、正面中央間1,667㎜(5.5尺)、端間1,136㎜(3.75尺)、側面三間は等間で1,313㎜(4.333・・・尺)で、現行尺(1尺303.03㎜)で柱間寸法が整理されているようです。ここでは、この柱間寸法の平面計画を考察します。 13尺の正方形平面で、柱断面寸法は0.5尺(13尺/26、図面実測換算155㎜前後)とします。正面中央間柱内々寸法を5尺に決めると柱真々寸法は5.5尺ですので、端間は3.75尺となります。側面は三間等間とし4.333・・・尺、仏壇は背面側柱から来迎柱真々を側面三間の柱間寸法の3/4(3.25尺、図面実測換算980㎜前後)としているようです。 |
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