西光寺厨子
建物データ
指定名称 | 西光寺厨子 明応10年(1501)、野棟木下端銘 一間厨子、入母屋造、横板葺、妻入 |
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指定年月日 | 平成27年4月17日 |
所在地 | 多良木町黒肥地小川 |
修理記録 | |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
西光寺厨子正面
西光寺は廃絶していますので、神像や厨子の墨書銘からその歴史を伺うしかありません。
『九州相良の寺院資料』(上村重次著、昭和61年8月1日発行)によると、長録4年(1460)に製作された神像銘は「多良木鍋城西光寺八王社壇□始奉建立本地御正体千手千眼一輪 長録四年三月十五日 住寺弘弁七十歳」です。この厨子のある長運寺も現在地に移るまでは鍋城に在りました。
鍋城城主であった上相良頼観・頼仙兄弟は、文安5年(1448)に永留長続(人吉相良11代相良長続)に攻め滅ぼされていますので、長禄4年(1460)頃に鍋城丘に西光寺が再興されていたと考えられています。
その後、この鍋城西光寺が廃絶したため、厨子や仏像を長運寺(『歴代嗣誠獨集覧』では長円寺)境内に移したとみられています。
西光寺厨子小屋裏
野棟木下端に明応10年(1501)墨書銘が在ります。
西光寺厨子斗栱
当初部分は台輪より上の部分です。斗栱は禅宗様の三手先で、丸桁は太鼓形、軒は扇垂木です。
西光寺厨子木鼻
頭貫は木鼻の部分が保存されています。上部の斜線からS字曲線につづき、通常は上部から渦が出るのですが、この木鼻はS字曲線の下の楕円形の繰型を入れここから渦が出ています。その下の円弧部分とS字曲線部分は人吉球磨地域のお中世遺構の標準的な形ですが。円弧部分は曲率を大きく外側に出ていて地方色をの強く感じます。
西光寺厨子拳鼻
拳鼻頂部は上向きの円弧ひとつで、その下も上向きの円弧で内側に反転し、ここから渦が出ています。その下は楕円形の繰型、外側に出した円弧、S字曲線となっています。渦は2回転巻いて、鎬面は凹面としています。
西光寺厨子懸魚
懸魚の下方で幅が広くなっている部分は時代が下る程に複雑な意匠になります。この懸魚は円弧から中括弧形の繰型、S字型(2つ合わせると中括弧形)の構成となっています。鰭が欠失しています。
建物情報
※情報の内容は重要文化財の指定説明とその後の調査・研究成果によるものです。
大工棟梁 | 椎葉源右衛門 |
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平面計画 | 『室町中期~後期における宮殿系厨子の建築様式に関する研究』(大野敏、平成14年3月)の図面を見ると、正面2.48尺(751.5㎜)、側面2.49尺(754.5㎜)、柱断面寸法は60.6㎜(0.20尺)となっています。鉄尺(1尺302.58㎜)で柱間寸法を換算します。 正面、側面とも柱外々を1.90裏尺としているようで、柱断面寸法は1.90裏尺2/27で0.14裏尺となります。 |