長運寺厨子

建物データ

指定名称 長運寺厨子   16世紀初期
一間厨子、入母屋造、栩葺、平入
指定年月日 昭和37年9月10日
所在地 多良木町黒肥地小川
修理記録
保存修理工事報告書 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)

長運寺厨子正側面

長運寺厨子正側面

『歴代嗣誠獨集覧』(梅山無一軒)によると、長運寺はもと黒肥地鍋城にありましたが貞治6年(1367)に全焼し、その後永徳3年(1383)に現在地に移し、長円寺と改称されました。
厨子の建立は西光寺厨子とほぼ薬師堂には薬師如来座像(明応10年頃1501)、この頃のものとみられる厨子、須弥壇がありますが、もともと長運寺のものだったかは判然としません。

長運寺厨子屋根大棟

長運寺厨子屋根大棟

屋根は良好な状態で保存されていますが、懸魚の鰭が欠失しています。

長運寺厨子妻飾り

長運寺厨子妻飾り

懸魚は西光寺厨子と同じ形状です。

長運寺厨子正面小壁板浮彫り

長運寺厨子正面小壁板浮彫り

迦陵頻伽(がりょうびんが、極楽浄土に住む鳥)が浮彫りされています。

長運寺厨子側面小壁板浮彫り

長運寺厨子側面小壁板浮彫り

こちらも迦陵頻伽が浮彫りされています。

長運寺厨子斗栱正面

長運寺厨子斗栱正面

実肘木にも笹繰があり、渦が出ている円弧部分は西光寺より曲率が小さくなっています。鎬の面を凹曲面としています。。

長運寺厨子隅斗栱

長運寺厨子隅斗栱

太鼓型の丸桁は西光寺厨子のものより縦長になっています。

長運寺厨子隅見上げ

長運寺厨子隅見上げ

木鼻や拳鼻、実肘木の鎬の面が凹曲面となっていることがよく判ります。

長運寺厨子木鼻

長運寺厨子木鼻

西光寺厨子の木鼻と同じ輪郭の構成ですが、頂部斜線したのS字曲線は西光寺厨子のほうが立っていて、その下は西光寺厨子は楕円形、こちらは円弧で、渦の巻は西光寺厨子より若干少なくなっています。その下の顎のような部分は西光寺厨子が円弧で、こちらは楕円形となっています。

長運寺厨子拳鼻

長運寺薬師堂舟肘木

西光寺厨子の拳鼻頂部は一つの円弧ですが、こちらの頂部は2つの円弧となっています。

建物情報

※情報の内容はその後の調査・研究成果によるものです。

平面計画 長運寺厨子平面計画
『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、正面・側面とも現行尺で2.83尺となっていますので2.00裏尺の正方形平面とみられます。
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