熊野坐神社本殿
建物データ
指定名称 | 熊野坐神社本殿 江戸時代後期、細部意匠 一間社流造、とち葺、南向 |
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指定年月日 | |
所在地 | あさぎり町柳別府 |
修理記録 | 現在の覆屋は明治中期以降に建てられたとみられ、この時に縁廻りが現状の納まりに変えられたと考えられる 昭和24年にも改修が行われている |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
熊野坐神社本殿覆屋
『麻郡神社記』によると当社は紀州熊野神社と同体で草創は不明です。応永年中(1394~1427)に再興され、天文年中(1532~1554)修復、元禄8年(1695)に社司惟美拝殿造替の記載があります。また、明徳年中(1390~1394)には真言宗寺院の城戸の坊常福寺という別当がありました。弘治3年(1557)に常福寺の住職景言は貝崎で討死し、常福寺も焼失して、慶長の末(1610頃)に無住となって滅亡しました。
熊野坐神社には阿弥陀如来立像(康正2年1456)、薬師如来立像(寛正元年1460)、千手観音立像(寛正2年1461)伝えられています。
現在の覆屋は明治中期以降に建てられたとみられ、屋根は切妻造の鉄板葺ですが、鉄板葺の下に茅葺が残っています。
熊野坐神社本殿正面
化粧垂木には反りがあり江戸時代に建立された特徴があります。板類や建具以外は広葉樹が使われています
熊野坐神社本殿向拝蟇股
全体的なプロポーションとして中央部までの幅が狭くなっている印象です。中央には若葉が彫られています。木材が広葉樹で密閉された覆屋の中に本殿がありますので、風蝕がほとんどなく建立年代の考察が難しいのですが、秋時諏訪神社本殿(1815~1817)より新しい感じがします。
熊野坐神社本殿向拝水引虹梁・木鼻
水引虹梁には神宮寺観音堂と同じような若葉が彫られています。木鼻の輪郭は簡素で、上角は円弧状に刳り取ってあり新しい意匠となっています。
建物情報
※情報の内容は調査・研究成果によるものです。
平面計画と柱断面寸法 | 熊本大学で作図された図面を見ると、正面1,258㎜、身舎側面976㎜、向拝奥行は497㎜となっています。ここでは鉄尺(1尺302.58㎜)に換算して平面計画を考察します。 正面は4.158尺で14枝なので、一枝寸法は0.297尺弱となります。裏目では2.94裏尺で14枝ですので、一枝寸法は0.21裏尺となります。身舎側面は3.226尺、裏目では2.281裏尺、向拝奥行は1.643尺裏目では1.161裏尺となります。表目では平面寸法が判りにくいので裏目で考察してみます。 正面は身舎柱外々を3.5裏尺と仮定し25等分、1小間0.14裏尺の21小間2.94裏尺を柱真々寸法とします。14枝ですので一枝寸法は0.21裏尺(1小間3/2)となります。 身舎側面は16.25小間とみられ2.275裏尺、身舎奥行はで8.25小間で1.155裏尺とすると、正面と身舎側面・向拝奥行を足した柱間寸法比は6:7となります。 柱断面寸法の記載がありませんので図面を実測して換算すると145㎜前後で、鉄尺の裏目では0.34裏尺です。柱断面寸法の計画値は、正面2.94裏尺を8.5で割った0.345裏尺とみられ、向拝柱は100㎜前後で身舎柱の2/3(0.23裏尺)の大きさとしているようです。 |
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