勝福寺仁王門(毘沙門堂)
建物データ
指定名称 | 勝福寺仁王門(毘沙門堂) 18世紀初期、木鼻意匠 三間一戸門、入母屋造、鉄板葺、正面三間庇付、南向 |
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指定年月日 | |
所在地 | あさぎり町荒茂 |
修理記録 | 明治22年:東面の村道上から現在地へ移築 昭和55年:小屋組を改造して現在の鉄板葺に改修、向拝も同時期に付加、コンクリート基壇に変更 |
保存修理工事報告書 | 『中世等文化遺産保護対策事業調査報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会) |
勝福寺仁王門(毘沙門堂)正面
『九州相良の寺院資料』(上村重次著、昭和61年8月1日発行)によると、勝福寺は山号を荒茂と号した真言宗寺院です。平重盛の菩提として養和年中(1181~1182)に建立されました。弘安年中(1278~1287)に毘沙門堂が再興されました。
かつての寺域は広大で、現在の五郎間、荒茂など5つの地区にまたがり、多くの仏堂がありました。また、鎌倉時代から江戸時代までの墓塔が残り当時の寺勢を偲ぶことができます。明治のはじめに廃寺となりました。
現在の仁王門(毘沙門堂)は18世紀初期頃の建立とみられ、かつての参道上にありました。廃寺後は参道が村道に変わったと推測され、明治22年(1889)に現在地に移築され毘沙門堂として改修されました。
勝福寺仁王門(毘沙門堂)正側面
古写真を見ると、もとは寄棟の茅葺であったことがわかります。
勝福寺仁王門(毘沙門堂)背面
背面側中央間は毘沙門堂改修時に壁で塞がれています。
勝福寺仁王門(毘沙門堂)内部
中央の通路部分の背面側に仏壇を設け、仁王像の立つ両端間は前面に建具を入れています。
勝福寺仁王門(毘沙門堂)木鼻
木鼻上部から円弧部分までの意匠が独特で、渦は1回転半ほど巻いています。似たような形の比較する木鼻がないのですが、ここでは18世紀前期としました。
建物情報
※情報の内容は調査・研究成果によるものです。
平面計画 | 『中世等文化遺産保護対策事業調査報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、正面規模は7,021㎜(23.17尺)、中央間2,895㎜(9.55尺)、端間2,063㎜(6.8尺)、側面二間2.077㎜(6.85尺)となっています。各柱間寸法は現行尺(1尺303.03㎜)で整理されたもののようです。現在は腕木の先で出桁を受けて茅負、裏甲を載せて茅葺形鉄板葺としていますが、小屋裏には以前の茅負が保存されていて、一定の間隔で垂木当りが確認できますので、建立当初は化粧垂木が在ったことが判ります。ここでは鉄尺(302.58㎜)で平面計画を考察します。 正面中央間と端間の差は2.75尺で4枝分とすると、一枝寸法は0.6875尺で一枝寸法を0.685尺と仮定すると、中央間は14枝で9.59尺、端間は10枝で6.85尺となり、側面二間も10枝6.85尺と考えられます。一枝寸法が0.853尺場合、正面三間で23.29尺7.047㎜、0.68尺の場合23.12尺6,996㎜で、それぞれ図面寸法との差は+26㎜、―25㎜となります。正面三間の現行尺23.17尺を鉄尺で換算すると7,011㎜ですので、一枝寸法が0.68尺とは-15㎜の差です。 ここでは一枝寸法を0.68尺とし、建物の規模をどのようにして決めたのか考察します。側面隅柱外々寸法を14尺と仮定し35等分した1小間0.4尺の34小間13.6尺を隅柱真々寸法とします。側面二間を20枝、一枝寸法を0.68尺とします。正面端間は同じ柱間寸法とし、中央間は柱間寸法比5:7で9.52尺(14枝)に設計したと推測されます。 |
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