正伝寺阿弥陀堂

建物データ

指定名称 正伝寺阿弥陀堂   18世紀初期、木鼻意匠
桁行三間、梁間二間、入母屋造、桟瓦葺、正面一間向拝、南向
指定年月日
所在地 あさぎり町柳別府
修理記録 平成 6年:茅葺から桟瓦葺に葺替。そのときに小屋組改修。
保存修理工事報告書 未出版

正伝寺阿弥陀堂正面

正伝寺阿弥陀堂正面

正伝寺は山号を妙音山と号した臨済宗寺院です。ここには元、人吉瑞祥寺末庵の松寿庵がありましたが、明治維新後廃絶しています。その後、明治31年(1898)に錦町一武覚井にあった正伝庵を移し、太平洋戦争後に正伝寺と改められました。
現在の阿弥陀堂は木鼻の意匠が人吉市の井口八幡神社薬師堂(正徳元年1711以降)に似ていますので18世紀前期の建立とみられます。

正伝寺阿弥陀堂側面

正伝寺阿弥陀堂側面

古写真によると、もとは寄棟の茅葺で、正面中央間は両開き戸、端間は格子窓であったようです。人吉球磨地域では江戸時代以降の三間堂正面はこの構えが標準になっています。

正伝寺阿弥陀堂背側面

正伝寺阿弥陀堂背側面

正・側面の三面は縁束石、背面は柱が切石積み布基礎の上に柱が建っています。背面側に野面石が残っていますので、石積み布基礎は後世の改修と考えられ、縁束や柱は野面石に建ててあったと考えられます。

正伝寺阿弥陀堂向拝

正伝寺阿弥陀堂向拝

向拝は差掛式としています。向拝は茅葺を葺降ろすのではなく、通常ほかの屋根材が葺かれています。水上村の生善院観音堂(寛永2年1625)は当初板葺として復旧しましたが、『日本林制史資料 人吉藩』によると木材の節約のために、寛政4年(1792)3月に屋根を瓦葺にすることが推奨されていますので、これ以降に建立された仏堂の向拝は瓦葺に変わっていったとみられます。

正伝寺阿弥陀堂内部天井

正伝寺阿弥陀堂内部天井

天井板は取替えられていますが、棹縁は当初のままのようです。

正伝寺阿弥陀堂軒廻り

正伝寺阿弥陀堂軒廻り

へ平成6年に桟瓦葺に改修されていますが、裏甲まで当初材が残っているようです。

正伝寺阿弥陀堂蟇股

正伝寺阿弥陀堂蟇股

水上村の生善院観音堂(寛永2年1625)の蟇股と比較すると下端の幅が狭くなり全体的に建ちの高い意匠いなっています。

正伝寺阿弥陀堂木鼻

正伝寺阿弥陀堂木鼻

人吉球磨地域の独特な特色は見られません。

正伝寺阿弥陀堂水引虹梁木鼻

正伝寺阿弥陀堂水引虹梁木鼻

渦より上の部分を見ると独特な意匠で、他の建物の意匠的な繋がりが見い出せません。

正伝寺阿弥陀堂実肘木

岡原霧島神社本殿向拝虹梁木鼻

木鼻の意匠とほぼ同じです。

正伝寺阿弥陀堂琵琶壁格狭間

正伝寺阿弥陀堂琵琶壁格狭間

格狭間の下部は写っていませんが、人吉市の老神神社本殿(寛永5年1628)のものとと比較すると全体的に平べったくなっています。円弧も曲率が大きくなり、輪郭のメリハリがあまり感じられません。

建物情報

※情報の内容は調査・研究成果によるものです。

平面計画と柱断面寸法 正伝寺阿弥陀堂平面計画
『中世等文化遺産保護対策事業調査報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、正面規模は3.817㎜(12.60尺)、中央間1,515㎜(5.00尺)、端間1,151尺(3.8尺)、身舎側面二間1,878㎜(6.20尺)、向拝奥行は1,818㎜(6.00尺)となっています。各柱間寸法は現行尺(1尺303.03㎜)で0.1尺の単位で整理されており寸法の関係性がみられませんので、図面寸法と異なりますがここでは鉄尺(302.58㎜)で平面計画を考察します。
まず、正面隅柱内々寸法を12尺と仮定し20等分した1小間0.60尺の21小間12.60尺を柱真々寸法とし、35枝に設定すると1枝寸法は0.36尺となります。正面中央間と端間の柱間寸法比を4:3とすると、中央間5.04尺、端間3.78尺、身舎側面二間はそれぞれ17枝6.12尺とします。向拝奥行は6.00尺なのか一枝寸法に関係しているのか実測調査を行わなければ判りません。
身舎柱断面寸法は図面を測って換算すると170㎜(0.56尺)前後ですので12.6尺2/45の計画とみられ、向拝柱は130㎜(0.43尺)前後ですので、身舎柱の3/4の大きさと考えられます。
あさぎり町リストに戻る
1