秋時諏訪神社本殿

建物データ

指定名称 秋時諏訪神社本殿   文化12年(1815)~14年(1817)
二間社流造、こけら葺、覆屋付
指定年月日
所在地 あさぎり町秋時
修理記録 正面浜床後設
保存修理工事報告書 未出版

秋時諏訪神社本殿と覆屋

秋時諏訪神社本殿

『麻郡神社記』によると当社は信州諏訪明神と同体で草創は不明、上村四郎頼村の建立とされています。永正13年(1516)回禄(火事)、同5年(15年か1518)再興、慶長3年(1598)に地頭相良頼兄改造とあり、これは藤原長毎の朝鮮出兵の戦勝祈願のためのようです。
現在の本殿は「諏訪社御宝殿御造替萬遣方覚」の記述により文化12年(1815)~14年(1817)に建立されたことが判ります。建物各部材の意匠と年代的な矛盾はないとみられます。

秋時諏訪神社本殿正面

秋時諏訪神社本殿正面

諏訪神社の御祭神は建御名方神と妃である八坂刀売命の二柱を合わせて諏訪大明神として祀られていますので、本殿正面は二間となっています。

秋時諏訪神社本殿側面

秋時諏訪神社本殿側面

覆屋がいつ建てられたのか判りませんが、本殿は200年以上経過しても塗装以外は建立時のままのように健全な状態で保存されています。

秋時諏訪神社本殿側面縁廻り

秋時諏訪神社本殿側面縁廻り

縁板の傷みも見られません。

秋時諏訪神社本殿正面軒廻り

時諏訪神社本殿正面軒廻り

人吉球磨地域の本殿で向拝垂木の上に台輪を載せるのはこの本殿のみです。

秋時諏訪神社本殿妻飾り

秋時諏訪神社本殿妻飾り

大瓶束を受ける蟇股は18世紀中葉のものより繰型を多くして新しい意匠となっています。琵琶板の本蟇股は上部の幅より中央の幅を絞った意匠で、蟇股意匠の時代的変遷を表しています。

秋時諏訪神社本殿向拝内部側

秋時諏訪神社本殿向拝内部側

木鼻は最上部の斜線部分から上が大きめの円弧のS字型となっていて、全体が外側に長くなっています。渦は半回転ほどになっています。
海老虹梁と絵様肘木には新宮寺観音堂のような若葉が彫られています。

秋時諏訪神社本殿向拝手挟

秋時諏訪神社本殿向拝手挟

手挟にも若葉が彫られています。

建物情報

※情報の内容は調査・研究成果によるものです。

大工棟梁  
平面計画と柱断面寸法 秋時諏訪神社本殿平面計画
熊本大学で作図された図面を見ると、向拝正面は中央間1,518(5.01尺)㎜、端間757㎜(2.5尺)、身舎1,515㎜(5尺)二間、身舎側面1,832㎜(6.055尺)、向拝奥行971㎜(3.2尺)となっています。向拝三間と身舎二間の1㎜の差と向拝中央間の5尺との3㎜の差は尺に換算する時に出たものと考えられますので、向拝中央間は5尺とします。ここでは枝割を考慮して鉄尺(1尺302.58㎜)で平面計画を考えてみます。
化粧垂木は柱真を割付け配られています。5尺12枝、2.5尺6枝で、一枝寸法は0.41666・・・尺の循環小数となります。4.98尺であれば一枝寸法は0.415尺です。健全な状態の本殿で6㎜の差は大きいので現行尺5尺(1,515㎜)とすると、裏目は3.536裏尺となります。一枝寸法は0.29462・・・尺でこちらも循環小数となりますが、一枝寸法を0.295裏尺と考えるとこの間は3.54裏尺(鉄尺)でミリメートルに換算すると1,514.8㎜です。鉄尺で5尺は1,513㎜で、実測値が現行尺て整理されていなければ、裏尺の平面計画とも考えられます。
身舎側面は4.28裏尺で、向拝の奥行は2.269裏尺となります。柱断面寸法は表記がありませんので図面を測って換算すると身舎柱175㎜前後、向拝は155㎜前後と見られます。身舎柱断面寸法が0.42裏尺であれば、正面隅柱外々7.5裏尺、身舎側面隅柱外々4.7裏尺となります。身舎柱断面寸法は7.5裏尺/12(0.41666・・・尺→0.42尺)の計画とみられます。
身舎正面7.5裏尺と側面4.7裏尺の柱間寸法の関係性が判然としませんが、24:15に近く、寸の単で四捨五入したとも考えられます。向拝の奥行2.27裏尺は向拝端間1.77裏尺に0.5裏尺(身舎柱断面図寸法6/5)を足した数値となっています。
あさぎり町リストに戻る
1