十日市大日堂

建物データ

指定名称 十日市大日堂   文政五年(1822)、棟札
桁行三間、梁間二間、入母屋造、桟瓦葺、平入、正面向拝一間、桟瓦葺、南向
指定年月日
所在地 錦町木上十日市
修理記録
保存修理工事報告書 未出版

十日市大日堂正側面

十日市大日堂正側面

寺院名称は不明で、文政5年(1822)の棟札によると、元禄5年(1692)に堂を再建し、その落成供養を人吉の願成寺22第住職寛済が行ったことが記録されています。その後、天明5年(1785)に彩色の補修が行こなわれ、今回(文政5年)も彩色の補修が完成し、願成寺住職俊誉が導師を乞われたことを本人が書いています。安政3年の「大日尊再興並堂建立」の記録により、現在の大日堂はこの時に建てられたものとみられます。入仏式の導師は湯前の普門寺住職宥運が努めていますので、真言宗寺院と関係があったと考えられます。

十日市大日堂正面

十日市大日堂正面

中央間は建立当初から開放であったようです。

十日市大日堂内部

十日市大日堂内部

来迎柱を建て背面側の柱との間を仏壇としています。

十日市大日堂向拝

十日市大日堂向拝

大日堂規模の仏堂では向拝は後設されている場合が多いのですが、海老虹梁の取付きをみると当初からのものともみられます。

十日市大日堂小屋梁架構

十日市大日堂小屋梁架構

写真奥の横方向の梁に見える部材は、屋根を桟瓦葺に改修した時の垂木掛でこの通りに妻壁があります。当初は茅葺とみられる小屋組の架構ですが、桟瓦葺改修時に桁のところで鼻先が切断されています。

十日市大日堂軒廻り

十日市大日堂軒廻り

垂木は棒垂木ですので桟瓦葺改修は明治以降で、桁の鼻先もかなり切断されています。

建物情報

※情報の内容は調査・研究成果によるものです。

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