新宮寺観音堂
建物データ
新宮寺観音堂 | 新宮寺観音堂 延宝4年(1676)、棟札写し 桁行三間(正面一間吹き放し)、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、正面一間向拝、桟瓦葺、南面下屋、桟瓦葺 |
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指定年月日 | |
所在地 | 錦町西久保宇野 |
修理記録 | 昭和12年現在地に移築 |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
新宮寺観音堂
当寺は延命山新宮寺と称し、応永12年(1405)に相良家に使えた新宮氏により菩提寺として建立されました。天文3年(1534)に新宮頼綱により再興されましたが、天正4年(1576)に焼失し、焼け跡から三寸の黄金仏が発見され、新たに六観音の造立を始め寛永7年(1630)に竣工しました。寛文13年(1673)東林寺二世伝燈和尚により再興されましたが、延宝2年(1674)の台風で、堂宇や尊像がが損壊したため、東林寺開山天瑞和尚により再興されました。現在の観音堂はこの時に新築されたものとみられます。
新宮寺観音堂正面
正面一間が吹き放しになっていますが、漆喰壁脇の両端の柱の正面側に何らかの痕跡があるようで、建立当初からこのような形式であったか非常に興味深い禅宗仏殿です。
新宮寺観音堂側面
漆喰壁の下方は簓子下見板張りとして雨仕舞を良くしていますが、地覆が下のコンクリート叩きに接触していますので、雨水が浸透して腐朽の原因となります。コンクリート叩きと地覆に隙間を空けると腐朽対策になります。
新宮寺観音堂向拝
向拝の海老虹梁の意匠が身舎の虹梁と違うため、向拝は後設のものとみられます。向拝は移築後にも改修が行われているようで、水引虹梁や垂木など新しい部材が混じっています。
新宮寺観音堂内部架構
本格的な禅宗様の架構で、梁間方向の虹梁間に大虹梁を桁行方向に架け、内部の柱を抜いて一つの空間としています。
新宮寺観音堂蟇股
蟇股の時代的指標となる蟇股で、上部の幅が十分で力強い印象を受けます。内部の「卍」は薬研彫としています。
新宮寺観音堂内部木鼻
渦の上のS字型がより曲率が大きくなり、半円形の円弧が2つ繋がった形状となっています。この木鼻も時代的指標となります。
新宮寺観音堂外部木鼻
渦は中世の木鼻や拳鼻のように一回転以上巻いていて古式な意匠ですが、渦の上は木鼻と同じ意匠で、輪郭と繋がっていませんが上部にもう一つ渦があります。また、壁方向には屋根板は若葉も付けられています。
新宮寺観音堂虹梁
柱際から渦を彫り、若葉文と唐草文を側面全面に施しています。この意匠は初見でこれ以後虹梁の飾りに使われるようになります。
新宮寺観音堂内部床
建立当初から床があったのか興味深いところです。床と棚板にはロウソクと線香からの火災対策のため鉄板が張られています。
建物情報
※情報の内容は調査・研究成果によるものです。
平面計画 | 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の図面を見ると、梁間方向は現行尺を整理して柱間寸法とされていますが、桁行法方向は興味深い柱間寸法となっています。 正面吹き放し部分は三間等間で各間2,660㎜、床張り部分の中央間は3,999㎜、端間1,996㎜となっています。現行尺ではそれぞれ8.778尺、13.197尺、6.587尺となります。この寸法を鉄尺に換算するとそれぞれ8.791尺、13.216尺、6.597尺で、寸法を整理すると、正面三間は8.8尺の等間、板張り部分中央間13.2尺、端間6.6尺とみられます。これで、吹き放し部分と板張り部分は26.4尺の規模となります。側面は現行尺で吹き放し部分6.8尺、板張り部分は6.6尺まで20尺の規模となります。吹き放し部分の桁行方向は各間20枝で、一枝寸法は0.44尺となります。 平面計画について分析すると各柱は正面の大まかな規模を27.5尺とし125等分した1小間0.22尺(0.44/2)のグリッド上に配置されているとみられます。桁行方向の規模は120小間(26.4尺)、各間40小間(8.8尺)、床張り部分中央間60小間(13.2尺)、端間30小間(6.6尺)です。梁間方向は床張り部分が各間30小間(6.6尺)、吹き放し部分は30.9小間で一致しません。鉄尺に換算すると6.808尺ですのでこの間を6.82尺とすると31小間になります。よって、梁間方向の規模は91小間(20.02)尺と考えられます。 |
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