松谷阿蘇神社
建物データ
指定名称 | 松谷阿蘇神社 本 殿 永禄6年(1563)、棟札 一間社見世棚造、板葺、東向 拝 殿 寛保3年(1743)、棟札 桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、妻入、正面一間向拝附属、東向 覆 屋 寛保3年(1743) 桁行三間、梁間二間、切妻造、鉄板葺、東向 |
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指定年月日 | |
所在地 | 球磨村三ヶ浦松谷 |
修理記録 | 本 殿:
拝 殿:屋根を茅葺から桟瓦葺に、軒廻り・小屋組・間仕切装置変更 覆 屋:近年鉄板葺に変更 |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
松谷阿蘇神社境内
『麻郡神社本殿』によると、当社は阿蘇神社と同体でもとは坂口鳥居松之にありましたが、荒廃していたため、多良木黒肥地東光寺住権小僧都教尊により、永禄6年(1653)現在地に遷宮されました。その後天正17年(1589)阿部和泉修復、寛文10年(1670)拝殿造営の記録があります。
松谷阿蘇神社社殿
現在の拝殿は寛保3年(1743)に再建されたもので、遷宮された後の二代目となります。拝殿には建具がなく開放で、腰板はありますが神楽などのための舞殿のような造りとなっています。
覆屋は全面開放型ではなく、側面は横板張りの壁板としています。
松谷阿蘇神社拝殿正面
向拝は後世の増築とみられます。
松谷阿蘇神社拝殿内部
床板窓下の部分の腐朽が懸念されますが、内部はきれいな状態で保存されています。
松谷阿蘇神社拝殿軒廻り
当初の出桁に垂木を載せて必要な軒の出を確保して、茅葺から桟瓦葺に改修されています。当初の小天井板がかなり取替えられていますので、茅葺時代には軒先の雨漏りが進んでいたとみられます。
松谷阿蘇神社本殿正面
本殿覆屋内部や本殿縁廻りは手入れが行き届き、拝殿同様に綺麗な状態で保存されています。
神松谷阿蘇神社本殿正面詳細
垂木の止釘が錆びて切れているようで、垂木が暴れた状態になっています。覆屋がありますので、保存上大きな問題ではありませんが、このようになっている原因は今後の調査により明らかにされると良いのですが。
神松谷阿蘇神社本殿・覆屋背面
覆屋は建立当初は茅葺であったとみられます。現在の屋根に改修する前は拝殿より雨漏りがひどかったようで、写真中央の腕木は腐朽が進んでいます。
神松谷阿蘇神社本殿向拝木鼻
人吉市球磨地域の同時代の木鼻とは輪郭が異なり、渦下の円弧部分は曲率が小さくなだらかについ下の内側に曲がる2つの円弧とつながっています。上部の円弧反転部分と下部の2箇所以外は輪郭に角がありません。
神松谷阿蘇神社本殿懸魚
八勝寺厨子(元亀~天正)の懸魚と比較すると、下方の円弧が反転する円弧状の繰型から最下部のS時曲線までの繰型が一つ少なくなっています。この部分の繰型の数や形状により時代差があることが確認されていますので、永禄6年(1563)の懸魚として指標となります。
松谷阿蘇神社本殿小壁板格狭間
栗の形の格狭間です。板の風蝕を見ても写真上の頭貫と差がありませんので、当初ものと考えられます。このように簡素な意匠は江戸時代のものを見ても他にありません。
松谷阿蘇神社本殿屋根
屋根板はほとんど風蝕が見られませんので、後世に葺き替えられたことも考えられます。
建物情報
※情報の内容は調査・研究成果によるものです。
大工棟梁 | |
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平面計画と柱断面寸法 | 『中世等文化遺産保護対策事業調査報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の本殿実測図を見ると柱間寸法は現行尺で整理されていることが判ります。正面3.9尺(1,182㎜)、身舎側面3.23尺(979㎜)、向拝奥行1.97尺(597㎜)で、側面の合計は5.2尺(1,576)尺となっています。この規模ですと鉄尺(1尺302.58㎜)と1~2㎜程度の差ですので、この柱間寸法で平面計画を分析してみます。正面3.9尺と側面合計5.2尺の寸法比は3:4で大矩の関係ですので、直角三角形の斜線長さは寸法比で5で6.5尺となります。小さな本殿ですので、大矩の斜線を6.5尺として設計したとも考えられます。側面は身舎部分と向拝奥行は寸法比5:3の関係とみられ、その場合は身舎側面3.25尺、向拝奥行1.95尺となります。柱断面寸法は図面を測って換算すると143㎜(0.47尺)前後で、5.2尺/11が一番近い数値となります。 拝殿は柱断面寸法を0.5尺角とした6.3尺×3.15尺の畳割りとして、現行尺で柱間寸法が整理されています。図面が小さいため柱断面寸法は確認できませんでした。 |