高寺院本堂
建物データ
指定名称 | 高寺院本堂 天保4年(1833)、棟札 桁行八間、梁間三間、入母屋造(茅葺は寄棟造)、鉄板葺(下に茅葺)一重、東面向拝一間、南面、西面下屋附属、東向 |
---|---|
指定年月日 | |
所在地 | 山江村大字山田甲 |
修理記録 | |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
高寺院本堂正面
当寺は高野山真言宗の寺院で、相良氏入国(建久9年1198)以前に当地方を支配していた矢瀬氏によ創建されてと言われています。
現在の本堂は後世に幾度か改修された後の姿となっています。一番古い部分は20畳の畳敷部分と東側の縁部分で、この部分の出桁と軒桁の南端が切断されていますので、持仏堂を建築する際に行われたものとみられます。
水上村の生善院本堂は客殿として建築され、持仏堂ノ間と次之間、矩折れの廊下が一棟で、西端の持仏堂ノ間の南面には廊下を挟んで向拝を設けています。現在は本堂として使われていますので、御本尊を次之間に向けられています。高寺院本堂がこのような平面構成であったと仮定すると、何らかの理由で持仏堂部分を新築する必要が生じたものと推測されます。高寺院も御本尊は畳敷きの間を向き、東側の向拝からみると横向きになっています。
高寺院本堂正面南妻
現在屋根は入母屋造で鉄板葺となっていますが、近年茅葺に鉄板葺を被せ入母屋造に改修されました。
高寺院本堂東面向拝
向拝は必要ですが、持仏堂建立時のものか詳しい調査を行わないと判断できません。
高寺院本堂持仏堂北側軒廻りの取合
持仏堂の手前で軒桁と出桁が切断されています。これは北側部分の方が早い時期に建てられていたことを示しています。
高寺院本北側部分の腕木
腕木下端は綺麗な円弧曲線となっています。