瑞光寺跡阿弥陀堂

建物データ

指定名称 瑞光寺跡阿弥陀堂   天文12年(1543)頃、鰐口
桁行三間、梁間二間、切妻造、桟瓦葺、向拝一間、東向
指定年月日 年月日
所在地 山江村大字山田甲
修理記録 明治29年:外回りの長押等の修理が行われている。
昭和49年:後世の改修で小屋組、屋根葺材、須弥壇の形式が変えられ、壁板も取替えられている。
平成11年:壁板の修理が行われている。
※向拝は後世に付加されたものである。
保存修理工事報告書 山江村文化財調査報告第1号 瑞光寺跡阿弥陀堂(球磨文化遺産保存会、平成26年7月14日)

瑞光寺跡阿弥陀堂正面

瑞光寺跡阿弥陀堂正面

清源山瑞光寺の草創について示す史料はないのですが、天文6年(1537)に住僧茂山永昌が遷化されていますので、これ以前には寺が存在していたことが知れます。江戸時代の資料では曹洞宗の寺院であったようで、明治になり寺は廃絶しています。

瑞光寺跡阿弥陀堂正側面

瑞光寺跡阿弥陀堂正側面

正面中央間の柱向い合せ面には建具を取付けた痕跡が見つからないので、建立当初から開放であったと考えられます。向拝は後世に付加されたものです。建立から480年間経過していますが、屋根廻りを除き当初部材が多数残っていて柱の根継もなく、建築的、歴史的に文化財としての価値が非常に高い仏堂です。

瑞光寺跡阿弥陀堂背側面

瑞光寺跡阿弥陀堂背側面

妻面に壁板がないので雨が直接内部に入る状況となっています。保存修理が必要な時期にきています。

瑞光寺跡阿弥陀堂内部

瑞光寺跡阿弥陀堂内部

建立当初仏壇は中央間部分だけの規模で、木造吉州和尚椅像が延宝7年(1679)に製作されていることから、この時期に現在の規模に拡張されたとみられます。

瑞光寺跡阿弥陀堂背面軒廻り

瑞光寺跡阿弥陀堂背面軒廻り

新しい出桁を取付けるためか腕木の鼻先が切断されています。

瑞光寺跡阿弥陀堂側面軒廻り

瑞光寺跡阿弥陀堂側面軒廻り

腕木木口の風蝕が少ないので鼻先が切断されていることが判ります。

瑞光寺跡阿弥陀堂小屋組

瑞光寺跡阿弥陀堂小屋組

天井板には古い壁板が使われています。このように古い部材が残されていると、保存修理の際に大変貴重な資料となります。

瑞光寺跡阿弥陀堂側面腕木上端痕跡

瑞光寺跡阿弥陀堂側面腕木上端痕跡

棟通りの腕木上端に扠首の枘穴が残っています。正面、背面側腕木上端にも扠首の枘穴が残っていると考えられますので、痕跡を整理すると茅葺へ戻すことは可能です。

瑞光寺跡阿弥陀堂外部木鼻

瑞光寺跡阿弥陀堂外部木鼻

木鼻の輪郭は基本的に人吉市に所在する長福寺阿弥陀堂(1538)と同じです。

瑞光寺跡阿弥陀堂内部木鼻

万江阿蘇神社本殿向拝海老虹梁・木鼻

木鼻の渦と円弧部分は長福寺阿弥陀堂(1538)より曲率が小さく、人吉市球磨地域の特徴がみられます。

瑞光寺跡阿弥陀堂当初床板裏面

万江阿蘇神社本殿側面

当初床板は割材で裏面は根太に当たる部分を釿で削って厚さを揃えているとみられます。上面は床板に載っている部材を外さないと判りませんが、最初釿で表面をある程度平滑にして、槍鉋で仕上げていると考えられます。

瑞光寺跡阿弥陀堂鰐口

万江阿蘇神社本殿向拝海老虹梁・木鼻

鰐口銘 「奉寄進清源山瑞光寺阿弥陀如来願主/高橋藤島鬼塚于時天文十二癸卯八月十五日/敬白」

建物情報

※情報の内容は調査報告書・研究成果によるものです。

平面寸法と柱断面寸法 瑞光寺阿弥陀堂平面計画
山江村文化財調査報告第1号 瑞光寺跡阿弥陀堂(球磨文化遺産保存会、平成26年7月14日)の執筆時には「ものさし」についての知識が足りませんでしたので平面計画を鉄尺で分析します。
正面中央間の実測最小値は1,530㎜、端間1,088㎜、側面一間1,853㎜でした。側柱の断面寸法は141㎜角、来迎柱は直径176㎜とみられます。正面は三間柱真々3,708㎜、側面二間3,706㎜で、正方形平面と考えられます。鉄尺(1尺302.58㎜)に換算すると隅柱真々寸法12.255尺、隅柱外々寸法は3,849㎜で12.72尺でともに計画性が判りにくい寸法です。試しに裏目尺に換算すると隅柱外々寸法は8.995裏尺となります。2㎜短いですが平面計画は裏目9尺の正方形とし、柱断面寸法は9裏尺/27の0.33裏尺(141㎜)とすると、柱真々寸法は8.67尺となります。正面中央間は1,530㎜ですので尺裏目では3.58裏尺で、端間は2.545尺となりますが、柱間の寸法比を中央間7:端間5とすると中央間は3.57尺、端間は2.55尺です。側面は二間ですので一間4.335尺となります。
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