万江阿蘇神社
建物データ
指定名称 | 万江阿蘇神社 本 殿:三間社流造、とち葺 享保13年(1728)、棟札 拝 殿:桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、桟瓦葺、妻入、向拝一間、桟瓦葺、南西向き、西面神供所接続 享保13年(1728)頃 覆 屋:桁行四間、梁間二間、一重、切妻造、銅板葺、平入 享保13年(1728)頃 |
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指定年月日 | 年月日 |
所在地 | 山江村大字万江宮鶴 |
修理記録 | 覆 屋:昭和22年に屋根が茅葺から鉄板葺に改修された 神供所:近年に付加されたとみられる |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
万江阿蘇神社社殿
当社は建立の年紀は不詳ですが、一宮の阿蘇神社の祭神と同じで中央に健盤龍命、左に阿蘇姫命、右に國造速甕主命が祀られています。当社の古い扉には、明応6年(1497)丁巳8月吉祥日の年号と「欽奉再興 相良宮内少輔(長輔)御代」の刻銘がありその下に万江次良左衛門、小野公慶、同縫殿佐の名前も彫られています。相良宮内少輔(長輔)は後に改名した13代相良長毎です。この時は12代為継の治世で、八代の長輔が当郡にいたことが記録されています。万江次良(郞)左衛門、小野公慶はここの領主です。
その後、慶安3年(1650)庚寅8月に相良壱岐守頼寛造替、この時は万江勘兵衛長定(長堅)が領主でした。亨保13年万江宇右衛門昌純により、神殿(本殿)、神楽所、御饌屋が新築されました。
万江阿蘇神社本殿と覆屋
覆屋は本殿と同時期に建てられたと考えられていますので、本殿は建立当初のままとみられます。
万江阿蘇神社本殿正面
正面は三間ですが背面は二間としています。向拝・身舎とも蟇股上部が狭くなっています。
万江阿蘇神社本殿側面
覆屋の登梁中央付近の母屋との仕口部分が雨漏りにより腐朽しています。
万江阿蘇神社本殿向拝海老虹梁・木鼻
建立年年代が判っていますので、格狭間意匠の変遷の指標となります。写真両端に見える実肘木は円弧部分が外に出る形式です。
万江阿蘇神社本殿身舎正面小壁板蟇股
上部の幅が全体的に狭くなってきています。
万江阿蘇神社本殿正面絵様肘木
渦が2つあり、この意匠はここが初見となります。
万江阿蘇神社本殿正面側面絵様肘木
正面の絵様肘木と比べると側面のものは渦上の鈎型が省略され、円弧状にしています。
万江阿蘇神社本殿縁高欄
正面側は向拝柱通りに高欄を設けています。正面側の架木が欠失し、隅の斗束上部が破損しています。
万江阿蘇神社拝殿正面
向拝は後世の増築とみられます。
万江阿蘇神社拝殿内部
現在、内部は畳敷きとなっていますが、建立時には「神楽所」とされていますので板張りのままであったとみられます。
万江阿蘇神社神供所
神供所は近年新しく増築されたものです。
建物情報
※情報の内容は調査・研究成果によるものです。
大工棟梁 | 稲冨幾右衛門辰 |
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平面寸法と柱断面寸法 | 『中世等文化遺産保護対策事業調査報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の実測図を見ると本殿、拝殿、覆屋の柱間寸法は現行尺で整理されていることが判ります。 本殿は正面中央間5尺、端間2.5尺、側面は柱真々寸法が身舎部分2,085㎜(6.88尺)、向拝部分1,115㎜(3.68尺)となっています。身舎柱断面図寸法を図面を測って算出すると170㎜前後となります。 身舎側面柱外々2,255㎜(2,085㎜+170㎜)は正面隅柱外々3,200㎜(3,030㎜+170㎜)の√2に近い(+8㎜)柱間寸法となっています。向拝奥行は、身舎側面柱真々に身舎柱断面寸法の1/2(85㎜)を足した長さと、身舎奥行寸法に85㎜を足した長さの寸法比が9:7とみられます。 拝殿の柱断面寸法は図面を測って算出すると145㎜前後で0.48尺として平面計画を考察してみてみます。正面規模は図面では16.3尺で、中央間6.8尺、端間4.75尺、柱の内々は15.82尺となります。6.3尺×3.15尺の畳が入るように設計されているとすると、3.15尺×5列で15.75尺ですので0.07尺長くなっています。奥行きは正面側1間を柱真々4.5尺、その奥3間の柱真々は19.4尺となっています。こちらの柱内々寸法は18.92尺で6.3尺×3段で18.9尺ですので0.02尺長くなっています。詳細な実測を行わないと断定できませんが、拝殿は畳割りでの平面計画と推測されます。 覆屋は図面を測って柱間寸法を算出すると、桁行方向は棟持柱外々寸法を20尺、梁間方向は隅柱外々寸法を19尺として計画しているとみられます。図面では柱断面寸法寸法に差があるようですので、それぞれの柱断面寸法を実測して確認する必要があります。 |