井口八幡神社薬師堂

建物データ

名 称 井口八幡神社薬師堂   正徳元年(1711)以降
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、平入、桟瓦葺、向拝一間、南向
指定年月日
所在地 人吉市井口町
修理記録 明治以降に軒廻り、小屋組、屋根を改修
保存修理工事報告書 『中世等文化遺産保護対策調査事業報告書』平成8年3月

井口八幡神社薬師堂正側面

井口八幡神社薬師堂正側面

現在、井口寺は廃絶し三棟の仏堂だけが残っています。草創は正和2年(1313)といい、一説には長和2年(1013)の創建ともいわれています。或は長和2年の草創で、正和2年の再建とも考えられています。
正和2年(1313)、人吉城第4代相良長氏は井口八幡宮の別当愛染院井口寺に薬師堂を草創して、愛染院と井口寺とに分けました。応永11年(1404)に井口寺薬師堂に落雷があり、本尊及び十二神像が少し焼けてしまいました。慶安2年(1649)薬師堂が補修されましたが。正徳元年(1711)に焼失した記録があります。しかし、木鼻の意匠をみると慶安2年に建立されものとも考えられます。

井口八幡神社薬師堂軒廻り

村山観音堂背面

軒が2段になっていますが、下段の軒は建立当初のもので、上段の軒は明治以降の改修工事で取付けられたものです。建立当初は腕木を長くして、出来る限り軒を深くしようとしたようです。
小天井板が外れたのか欠失しているのか判りませんが、壁板や縁の一部の保存修理が行えると良いのですが。

井口八幡神社薬師堂木鼻

村山観音堂向拝

木鼻は地方色のない意匠で承応4年(1656)建立の高寺院毘沙門堂の木鼻と同じ輪郭になっています。

井口八幡神社薬師堂須弥壇錫杖彫

村山観音堂軒先

錫杖彫は正徳元年(1711)以降の意匠とみられます。

建物情報

※情報の内容は調査・研究成果によるものです。

平面計画と柱断面寸法 井口八幡神社薬師堂平面計画
『中世等文化遺産保護対策事業調査報告書』(平成8年3月、熊本県教育委員会)の井口八幡宮薬師堂の図面を見ると現行尺で整理した柱間寸法となっています。
薬師堂は正面16.3尺、側面15.3尺、側柱の断面寸法は0.53尺弱、来迎柱は0.7尺です。正面、側面ともに設計当初から平面規模を0.3尺までとするのは考えにくく、尺の完数からの実施によって0.3尺までの寸法になったと考えると、平面規模(柱外々)は正面17尺、側面16尺とした設計と推測されます。来迎柱断面寸法は0.7尺(正面17尺/24)ですので、平面規模を決める際にはこちらの柱断面寸法を採用したのではないかとみられます。側柱断面寸法は設計では来迎柱断面寸法の3/4の0.525尺としたと推測されます。
各柱間の計画は正面中央間を8尺としていますので、端間は4.15尺、側面は15.3尺を三等分して各間5.1尺になります。
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