村山観音堂
建物データ
指定名称 | 村山観音堂 18世紀前期 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、平入、銅板葺、南向 |
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指定年月日 | 平成25年5月28日 |
所在地 | 人吉市城本町 |
修理記録 | 戦後と思われるが、軒を二軒にして入母屋造の銅板葺とした。内部は内外陣境の間仕切が無くなり、明治以降とみられるが須弥壇を囲む柱に持送を付けて板を張り、須弥壇を拡張している。 |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
村山観音堂正面
当寺は慶長年間(1596~1614)に人吉市の願成寺14世勢辰の弟子勢算が観琳寺を千福山観蓮寺と改め真言宗寺院としました。寛永3年(1625)には無住となり、元禄元年(1688)に四天王像を京都で修復し、同二年に入仏されました。元文4年(1739)に現在の観音堂が建てられました。明治31年(1898)に秘仏の金銅千手観音紛失、同33年に発見入仏されました。この秘仏は平重盛菩提のため観琳寺に祀ってあったものです。
現在、観音堂は相良三十三観音めぐりの9番札所となっています。
村山観音堂正側面
石積の基壇に観音堂が建っています。斗栱は一手先とし丸桁を受けています。
村山観音堂背面
中央間の引違い板戸が新調されています。
村山観音堂向拝
向拝は建立当初からのものとみられますが。垂木に反りがない(棒垂木)ので、垂木から上は明治以降に取替えられているようです。水引虹梁中央に力士像を載せていますが、元は束たったようです。
村山観音堂軒先
軒が2段になっています、下の部分が建立当初からの軒で、屋根は元々茅葺であったようです。上の軒は棒垂木ですので、明治以降の改修工事のものとみられます。
村山観音堂蟇股
この板蟇股は地方色を感じない意匠です。内部の梵字は「キリーク」(阿弥陀如来)です。
村山観音堂外部木鼻
外部の木鼻は円弧部分を内側に入れる意匠となっています。
村山観音堂四天柱木鼻
内部の木鼻は円弧部分を外に出す通常の意匠です。遥拝阿蘇神社本殿のように意匠の使い分けをしています。
村山観音堂内部実肘木
外部木鼻と同じ系統の意匠です。
村山観音堂須弥壇格狭間と釈杖彫
格狭間は遥拝阿蘇神社本殿のものより古式にみえます。錫杖彫の意匠は建立年代相応です。