この門は明治初期の廃藩置県で人吉城の建物が取り壊された際、相良家の相良藩の家老を勤めた新宮家が拝領し、自宅の門としてここに移築したものです。人吉城の御館の水の手側入口にあったもので、堀合門と呼ばれていました。現存する唯一の人吉城の建造物です。
現在は桟瓦葺となっていますが、建立当初からなのか、繊月城唯一の遺構ですので今後調査をしてみたいと思います。
※情報の内容は調査・研究成果によるものです。