永国寺石造五重塔
建物データ
指定名称 | 永国寺寺石造五重塔 鎌倉時代 石造五重塔 |
---|---|
指定年月日 | 昭和50年9月157日 |
所在地 | 人吉市願土手町 |
修理記録 | 不 明 |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
永国寺石造五重塔
永国寺は応年15年(1408)の創建で、相良九代前続公の開基により、実底超真和尚が開山した曹洞宗の寺院です。幽霊の掛け軸があることで有名です。西南戦争の際にはの西郷軍本陣となり、人吉市街戦の際に焼失した歴史があります。
石造五重塔は常楽寺跡(人吉市田町)から移設されてものと言われています。常楽寺は『御当家聞書』によれば、建保年間(1213~1219)相良長頼により、青井神社、厳屋権現とともに再興されたものと記載されています。石塔は本堂向かって左側に他の層塔1基とともに置かれています。最下層の軸部には、「嘉禄三年(1227)四月二十四日大檀那藤原□重」の銘文があり、人吉球磨地域最古の在銘重層石塔です。現在は四層で相輪を欠いています。第三層の軸石は別石になっています。銘文中の□は不明ですが、相良家初代相良長頼の弟宗頼の子の頼重と考えられていますが「家」とも読めるので、今後の検討が必要です。
永国寺石造五重塔笠石見上げ
軒は二軒にしているようです。
永国寺石造五重塔初層銘
現状では風蝕が進み銘がはっきり見えなくなっています。
建物情報
※情報の内容は調査・研究成果によるものです。
石塔形式 | 七重層塔 |
---|---|
銘 文 | 最下層の軸部、「嘉禄三年(1227)四月二十四日大檀那藤原□重」 |
彫 刻 | 軸石の四面には、蓮花座上に座る二重光背形の龕部(がんぶ・仏像を納める厨子)に、定印の阿弥陀仏 笠石軒裏には、隅木や垂木形を造り出し |
塗 装 | 未確認 |
破損状況 | 一重分石材欠失 石材の欠け |