大信寺地蔵堂
建物データ
指定名称 | 大信寺地蔵堂 宝永2年(1705)以前 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺葺 |
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指定年月日 | 平成4年8月12日 |
所在地 | 人吉市南泉田町 |
修理記録 | 享保16年(1731)に瓦葺に改修『諸所修繕覚帳 巻之一』(御木屋 亨保十年~延享三年) 平成 5年に修理が行われ、床が撤去され土間に戻された |
保存修理工事報告書 | 未出版 |
大信寺地蔵堂
大信寺は山号を玉宝山と称する浄土宗寺院です。『南籐蔓綿録』・『歴代嗣誠獨集覧』(梅山無一軒)によると、寛文3年(1663)に鐘音寺跡に開山されました。元禄6年(1693)には無住となり、実誉和尚が入寺して、元禄8年(1695)大信寺の本尊として金銅仏の阿弥陀三尊が入仏。その後、宝永2年(1705)に木彫地蔵隆立像が修復され地蔵堂に入仏しました。現在の地蔵堂は入仏以前には存在していたと考えられます。
屋根の本瓦葺は人吉球磨地域では珍しいのですが、屋根や軒廻りを見ますと当初の形式から変更されているようです。
大信寺地蔵堂の軒先廻り
後世の改修工事で桁の鼻先が切られているようです。
大信寺地蔵堂小屋組
小屋束の錫杖彫の両端は擬宝珠形になっています。この部材が当初材であれば、水上村の生善院観音(寛永2年1625)から地蔵堂が建てられるまでの間に釈杖彫の意匠に変化が在ったようです。
大信寺地蔵堂木鼻
木鼻の輪郭は多良木町の白鳥神社本殿(延宝8年1680)と同じで、ともに渦も1回転ほどしか巻いていませんので、建立年代が近いとみられます。
大信寺地蔵堂舟肘木
木鼻と同じ意匠です。
大信寺地蔵堂須弥壇格狭間
青井阿蘇神社社殿や老神神本殿の格狭間に似た感じはありますが、もっと新しい時代のものとみられます。束の錫杖彫は小屋束の錫杖彫と同じ意匠のようです。